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   筥崎宮裏参道鳥居(Ⅰ)

 筥崎宮には、楼門に掲げる「敵国降伏」という大きな扁額があり、当宮には他にもう一枚、この四文字「敵国降伏」の額があります。それが宮裏参道にある鳥居の額です。鳥居は、明治33年(1900)5月で、奉納した人は安川敬一郎、平岡浩太郎という名が刻まれています。筥崎宮には4つの鳥居があり、表参道にある大鳥居、二の鳥居、一の鳥居の額には「八幡宮」と記された額が掲げられています。なぜ裏門の鳥居だけに「敵国降伏」の額が掲げられているのか、と思われる。まず奉納者の安川敬一郎及び平岡浩太郎両氏について、安川敬一郎氏は嘉永2年(1849)儒学者の徳永貞七(省易)の四男として生まれ、元治元年(1864)福岡藩士、安川岡右衛門に婿入りし、名を藤四郎から敬一郎に改めている。その後炭鉱経営に着手し、明治10年(1877)に石炭販売業を始め、明治炭鉱を起業し、明治22年(1889)には平岡浩太郎氏と共に赤池炭鉱を起業し、大炭鉱主の仲間入りをはたす。