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   水茶屋町

 維新前後、「水茶屋町」は現在の博多区千代二、三丁目にあたる。江戸時代は「新茶屋」と称し、文政4年(1821)奥村玉蘭氏の『筑前名所図会』に描かれている。幕末には、数件の茶屋があったが、柳町と異なり芸者と仲居を置くだけだった。新茶屋を描いた絵図の中央に「若松屋」がある。大正末期にこの地の所有者となった麻生貞氏の子息・麻生徹男氏が書いた『常盤館昔話』により、若松屋は位置から見て、明治期には常盤屋と名を変えていたらしい。明治22年、外相大隈重信公襲撃を謀った来島恒喜氏の壮行会が催されたという。さて、常盤屋の庭園の端に大きな別室があった。江戸時代の史料文書に別棟の二階が一時潜伏した高杉晋作氏ゆかりのものと推測される。この部屋の床の間の壁には抜け穴と思われる、人が通れる幅のすきまがあり、ふだんは掛け軸で隠すようになっていたという。麻生家には
“いましめの 千筋の縄は ほころべど なほ気にかかる 国の行末 晋作”
という書が残されている。