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   私立香椎中学校の設立

 1941年(昭和16)1月に、財団法人香椎中学校の設立が認可された。財団資産の総額を50万円とし、その金額は財団の理事長太田清蔵翁が寄附しました。清蔵翁の育英事業の志しは一朝一夕のことではなく、当時、安川敬一郎翁に志を述べて、おしえを乞うています。安川翁は学校経営の困難さは一般産業経営の比ではないと詳しく忠告しました。以来、意見を聞き種々構想をめぐらした結果、1939年(昭和14)頃から努力し、財団を設立することとなりました。財団経営の学校建設については、県当局及び文部省方面との交渉は単純ではなく、建設工事に着手した昭和16年には太平洋戦争が勃発、学校建設などは厳重な統制下に置かれ、年々必要な校舎も最小限に制限され、建築費の暴騰もあり、清蔵翁は寄附を新たに75万円に増やしました。さらに、東京で買収した「南部の黒門」を香椎中学校の校門に移しました。1941年(昭和16)4月から開校と決定し、校長に九大名誉教授長沼賢海氏を迎えました。