93<< 92 >>91

   御飯ノ山城(老の山城)

 『老の山城は、立花城のほぼ南約3kmのところにある標高90mの老の山(城の腰山ともいう)の山頂に築かれた山城です。史料によると、『筑前国続風土記』(貝原益軒)の中で「御飯(おい)の山古城」とし「香椎宮の東北、御飯の水(不老水)の上にある山なり。大友の臣一万田弾正か籠りし所と云。立花の端城なりと云。」と記され、又、『筑前国続風土記拾遺』(青柳種信)の中で「老の山古城」とし「香椎宮の東北、大宮司か宅(武内屋敷)の上の山也。峰二ツ有。東の高峰に平地二反許有。城ノ腰と云。東ノ谷を御倉(おくら)谷と云。南麓に隍(ほり)の址有。北の谷を笠懸(かさがけ)といふ。西の山下に里城の址有。」と記されています。この老の山城跡や南麓の谷一帯は「香椎B遺跡」に含まれた地域です。「700年ほど前というと、蒙古襲来に際しての物見の場が設けられたものが、山城へ発展していったのではないかと考えられる。」 現在の福岡市東区香椎台5-10の「おいの山公園」一帯がそれにあたります。