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   香椎廟の四至

 『香椎宮編年記』によると、香椎廟の四至(しいし)(所領の東西南北の四方境界)は、東は鴨山(かもやま)、西は壱岐、南は住吉、北は尾呂の四限とする。まず東の鴨山は、筑前国鞍手郡のうちにあり。現鞍手郡若宮町の小字。至徳四年(1387)、宗像氏頼宛、今川了俊書下(神領安堵状)に「鞍手郡内室貴村・宮田村・鴨山・宮永村」とある(宗像神社文書)。西の壱岐は、『壱岐郷士誌』所収「吉野家略譜考」によると、壱岐国では、弘安の役に諸社に祈るに、八月朔日神風により賊船を破ることができたと、壱岐諸神社に神領を寄進した。香椎聖母大明神には「可須郷 香椎宮領田、香椎村・新城村・中郷村・長嶺村・百次郎村・津甫村・有安村九十四町也」とある。香椎社領であった可須村で武家だった香椎家・香椎岩五郎氏の2女として生まれた梅屋庄吉氏の妻・トク。梅屋庄吉氏は中国の革命家・孫文を助けている。南の住吉 住吉荘は筑前国那珂郡のうち。北の尾呂は小呂島、筑前国志摩郡のうち。現在、福岡市西区大字。


久山・遠見岳からの眺望