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   名島城絵図の考察

 名島城の絵図には「名嶋古城之図」(小早川隆景入城時の図)と「筑前名島城図」(黒田長政が入国後家臣を配置した図)のふたつがあります。「名嶋古城之図」は古く、絵図の左角に「寛政十一未年七月甲斐氏之寫処再寫ス」と書かれている。絵図は再び写された絵図であり、描かれた年代は福岡藩十代藩主黒田斉清公の時です。現存していた絵図が古くて、甲斐氏が写し、さらに写された絵図かどうか。「名嶋古城之図」には、絵図の南側余白に、「簡略に名島城が破却されて福岡城にその部材が転用された経緯」が書かれています。現在の名島城址に描いてある絵図は、原絵図が「筑前名島城絵図」です。これは慶長5年(1600)の黒田長政公が小早川秀秋公から引き継いで長政公の家臣等を名島城に配置したときの「黒田氏入国時」の絵図です。この絵図により、黒田家臣の主な武将名がそれぞれに配置された名島城内わかります。小早川時代に住んでいた家臣の名と併記して書かれてある貴重な絵図でもあります。


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