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   放生会の「新しょうが」

 筥崎宮の放生会については京都・建仁寺の記録の中に「延喜19年(919)筥崎放生始」とあります。「新しょうが」は筥崎宮秋の放生会の名物です。黒田官兵衛(如水)公との因果関係があります。関ヶ原合戦にて長政公の戦攻大なりとして52万3千石の筑前の国主に封じられました。黒田三左衛門氏も秋月・甘木の隣立地する三奈木の土地1万2千石を領した。父加藤重徳氏を呼び寄せたい旨の許しを、願い出ると共に喜んで許しを与えられた。さらに今の筥崎の裏手一帯の土地を与えられ、隠居の労を癒える場所を与えた。その所在を今でも「小寺」と云う。官兵衛公の播州時代の名前であった由緒ある地名として呼ばれる。頂いた小寺という土地に隠居生活をしていた重徳氏はその土地で「しょうが」作りに励む。あたりは水分の多い土地で「しょうが」に適していたようだ。ある日、如水公、長政公藩主らの筥崎宮参詣の知らせで、加藤重徳氏は慶びの余り土のついた「新しょうが」を献上した。