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   天神町の赤銅御殿(あかがねごてん)

  屋根をすべて銅で葺いていたことから「赤銅御殿」と呼ばれた豪壮な建物、筑豊屈指の大炭鉱主・伊藤伝右衛門の福岡市(天神町)の屋敷である。
  昭和2年(1927)、御殿は建築後数年にして表御問、離屋敷、御蔵を除いて全焼した。屋敷は、英和女学院(現福岡女学院)の校地で、大正8年(1919)8月、浄水通りの新校舎に移転した跡地でした。
  歌人・柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん)は伯爵・柳原前光の娘で大正天皇の従兄妹にあたり、明治45年(1912)、伊藤伝右衛門と再婚した。しかし白蓮は大正10年(1921)10月20日に家出する。(「白蓮事件」)「事件」の舞台と伝えられた天神町の赤銅御殿は大正11年に完成しているので、白蓮と天神町の赤銅御殿とは全く関係がないことがわかる。
  なお、天神町の赤銅御殿の玄関は京都の二条城の表玄関を模していると伝わる。そして飯塚市伊藤本邸に移築されている。

タリーズコーヒー天神店の裏側に御殿の名残の赤レンガ塀が残っています