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   博多の三傑

  嶋井宗室(しまいそうしつ)。嶋井家は酒屋と土倉(どそう)を経営し、財力を蓄積した。堺の商人・茶人をはじめ、権力者である織田信長公や豊臣秀吉公の知遇を得ていた。天正15年(1587)、秀吉公の命により博多の復興に従事し、文禄・慶長の役では兵糧米の調達にあたった。
  神屋宗湛(かみやそうたん)は紹策(しょうさく)の子として誕生し、天正14年、宗湛は豊臣秀吉公の招きにより上洛すると、翌年の大坂城での大茶湯会では秀吉公から厚く遇せられた。博多の町割りの際には間竿(けんざお)を用いて秀吉公をサポートし、町屋の建設、博多への兵糧米の集荷など兵站基地商人として貢献している。
  大賀宗九(おおがそうく)、豊後国の武士である大賀家は、大友氏に仕えていた。大友家が滅亡すると商人に転身し、海外貿易に携わるようになった。慶長5年、黒田氏が移封されると、宗九も博多に移り住むことになった。そして、築城や城下町などの整備を宗室や宗湛とともに行った。


神屋宗湛の屋敷跡に秀吉を祀る豊国神社が建立されています