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   明治の城はなし

 明治4年(1871)の廃藩置県によって、全国の城郭はすべて明治政府に接収され、兵部省(のち陸軍省)の管轄となったが、明治6年(1873)に「存城廃城令」が出され、それまで陸軍省所管財産となっていた全国の城郭は、陸軍が軍用財産として残すもの(存城処分)と大蔵省に引き渡し売却用財産として処分されるもの(廃城処分)に分けられた。明治23年(1890)には存城処分となった城郭も、軍が使用していない城郭は自治体や旧藩主家に払い下げられた。福岡城は御藩置県の時点で三の丸に県庁が置かれていたこともあり、三の丸は内務省、本丸・二の丸は陸軍省の所管となっていた。明治6年存城処分となると、それまで内務省が所管していた三の丸を含めて陸軍省の所管となり、明治9年(1876)4月に歩兵第14連隊の第3大隊が福岡城に入ると、県庁は天神町に移転することになった。さらに城は歩兵第24連隊の衛戍(えいじゅ)地となり、以降、城は昭和20年まで軍が使用することになった。