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   博多の井戸

 那珂川と石堂川に挟まれた地域に繁栄した町並みが博多の町です。飲料水は井戸水を用いていたが、海岸都市の井戸水は、いくぶん塩分を含んでいるものと、塩分を含んでいない良水がありました。 天正15年(1587)、豊臣秀吉公は博多滞陣のおり、キリシタンの禁制を全国に発布し、博多を自由都市とし保護しました。博多が韓国・明国をはじめ南方諸国に開けた港であることを展望、将来の兵站基地として構想を練り、博多の町割りもその一つの事業でした。しかし、博多は十万余りの人を駐屯させる都市としては井戸の数が少なく、飲料水の確保が出来ないことが不安でした。秀吉は博多の人に命じ、井戸を一箇所掘るごとに銀判1枚を与えたので、各町に辻井戸が掘られ、町内で保護されました。辻井戸は貞享3年(1686)には52箇所あったといいます。秀吉公が博多の人に与えた銀判は、その形から「ゆずり葉銀」とよばれ、櫛田神社の「博多歴史館」に展示されています。