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   香椎八景

 香椎宮で武内氏信(うじのぶ)氏は、大宮司になった時にはすでに香椎四党による大宮司職制は崩れており、伴氏、清原氏の最後で、武内氏と大中臣氏が交替で大宮司職を務めていた。宮司として衰退しつつあった香椎宮を立て直すことに努力した。一方で、香椎宮が石清水八幡宮の支配下に入ったことに、香椎宮不振の遠因があると意識して、香椎宮の権威の上昇を図る目的で『香椎宮編年記』を重編した。さらに武内一族による、香椎宮再生をねらい、香椎八景を創造、演出することにより、歴史や風土を背景に伝統ある香椎宮の再生を図ろうとした。『編年記』によれば「祥瑞杉(しょうずいさん)」、「降敵涛(こうてきとう)」、「豊賑姻(ほうしんえん)」、「印光池(いんこうち)」という従来、香椎四景なるものがあった。それに「分髪川(ふんかんせん)」、「霊香椎(れいこうすい)」、「不老泉(ふろうせん)」、「武備嶺(ぶびれい)」の四景を新たに加えて香椎八景としたという。香椎四景については『八幡愚童訓』の同様の記事がみえる。