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   貿易港博多

 平安時代後期の港湾施設、石積み遺構が福岡市博多区の旧冷泉小学校跡地で発見され、中世の貿易都市博多を物語る成果といえる。発掘は2018年(平成30)4月。石積みは、海岸線に沿って確認され、出入口のような開口部もあり、荷揚げ施設だったとみられる。11世紀後半は、外国使節の迎賓館「鴻臚館」に代わり、博多が日宋貿易の拠店となった。12世紀に入ると、中国商人は居留地の「唐房」で生活しながら両国間の貿易を取り仕切り「博多綱首(ごうしゅ)」と呼ばれた。綱首には13世紀に博多に住んだ謝国明がいる。日宋貿易に関わる重要な遺物の発見がもう一つありました。石積みの海側で見っかった硫黄です。火薬の原料である硫黄は日本からの輸出品として文献に登場するが、博多では初めて実物が確認されました。九州大の伊藤幸司教授は、志賀島や能古島、今津、姪浜、箱崎、香椎など博多湾内の各港町が、物資保管や時停粕の機能を持っていたことに着目し、「港町複合体」の形成を説明しています。