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   博多の謂れ

 博多は奴国といわれたころから、約1900年の歴史をもつ。これに反して福岡は、黒田長政公が筑前入りしてからでわずかに413年の歴史に過ぎない。実に博多は。福岡の四倍の歴史を持っていることになる。さて博多という地名が文献に最初に現れたのは『続日本紀(しょくにほんぎ)』で異国の書には、覇家台、花旭塔、八角島などの宛字であらわし、令泉津、石城府ともいった。他に博多の語原について『石城志』は土地は博く、人も多いので博多というとか、船が泊まる潟、すなわち粕潟(はかた)が博多となったなどの俗説もある。加えて、朝鮮の地理書『海東諸国記』は、文明3年(1471)ごろの博多を「筑前州に博多あり、或は覇家台(はかた)と称し、或は令泉津と称し、或は筥崎津と称す。居民(きょみん)万余戸、小二殿と大友殿とが文治す、小二は西南四千余戸、大友は東北六千余戸、藤原貞成公をのって大官となす。居人行商を業とし、琉球、南蛮商船の集まる所」と記録している。