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   抱洋閣のその後

 大正5年(1916)福岡において陸軍大演習が開かれることになり、大正天皇は大本営となった福岡県庁を御宿泊所に、内閣総理大臣をはじめ各大臣は市内に民泊されることになった。この大演習は外国人にも見学されることになり、アメリカ、イギリス、清国、ロシア、フランス等の高官の宿泊所に様式便所を持った民家がなく、この様式抱洋閣を外人宿舎とした。さらに抱洋閣は九州帝国大学に近いところから、九大に留学していた中国学生の宿舎にもなっていた。その中の一人に現中国の日中友好の郭抹若(かくまつじゃく)氏が居た。この抱洋閣は、県の会議や宴会にも利用され、県の迎賓館の役目も果たしていたが、福岡市東部発展、博多湾鉄道、国道三号線の工事で撤去されることになった。福寿鉄工所の煉瓦塀は抱洋閣の煉瓦を使用したものという。博多は元来煉瓦の製造は早く、福岡城築城の時、重要書類を収める松原櫓は防火上煉瓦であった。