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   箱崎松原にあった抱洋閣

 西中島橋のほとりに、市立歴史史料館が旧日本生命館は赤煉瓦造りの明治建築として、国の重要文化財(昭和44年3月)として保存されている。此の建造物は、明治40年(1907)8月、東京駅を設計した唐津出身の辰野金吾氏に依頼している。此の事を知った博多商人が地元の手で、地元の建築資材で完成させたのが抱洋閣(ほうようかく)である。博多麹(こうじ)屋町の先代奥村利助氏は、まず岩崎(故阿部市長の母方の祖父)に相談し、設計は同じく辰野氏に依頼し、赤煉瓦は浜口町の煉瓦屋事深川友次氏によって製造され、箱崎松原海岸に岩崎組の施工で、明治43年(1910)8月、二階建て延べ700余坪の大建築が博多ッ子の手によって落成した。二階から望む博多湾の風光をまなこにおさめ書家水野魯直氏によって抱洋閣と命名された。利助氏経営の箱崎塩田で排出される温水を導き、浴場、気泡温泉、蒸し風呂に利用され、その上水族館、海水浴場の設備など併置されたので毎日盛況であった。