62<< 61 >>60

   筑前参宮鉄道

 大正4年(1925)、国鉄吉塚駅を起点とし、志免村、宇美村を経由して太宰府市に至る路線として計画された。この沿線はまた吉塚駅の近くには筥崎宮が宇美村には宇美八幡宮があり、全通が出来時には太宰府天満宮にも行けるため、参拝者輸送を計画していた。当初は「宇美軌道」の名で軌道条例を受ける軌道として出願された。大正5年6月18日に創立総会を筑前参宮鉄道の名で会社が設立された。大正7年(1918)、第一次世界大戦の影響による建設費がかさんだが、終点の宇美村勝田地区にあった炭鉱の運炭の必要性に差し迫っていたため、すでに開業していた博多湾鉄道汽船に接続させる形で宇美―筑前勝田間を建設し、1918年9月19日に開業させた。1941年(昭和16)に改正陸運統制令が公布、鉄道省は博多湾鉄道汽船に対して筑前参宮鉄道を合併するよう要請した。太田氏は福岡県内にあった九州電気軌道・九州鉄道・福博電車と5社が合併し、西日本鉄道が成立した。その後筑前参宮鉄道は宇美線となったが1944年に国に買収され、勝田線となった。勝田線は昭和60年(1985)に廃止された。