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   宗祇が見た香椎宮

 連歌の大家・飯尾宗祇(いいおそうぎ)氏が筑前・豊前守護であった大内政弘公の招きで、文明12年(1480)に山口に滞在していたが、筑前国の名所を訪ねる旅を出て、紀行文『筑紫道記』を著している。宗祇氏は文明12年9月6日に山口を出発し、九州の若松に上陸、9月16日に太宰府天満宮に到着し、20日には博多に到着し、浄土宗竜宮寺を宿所にして10日間、博多名所めぐり、連歌会を行う日々を送っています。その後、再建中の筥崎宮、仮殿の香椎宮を見て山口への帰途についている。香椎宮を訪れたのは10月3日のことです。御殿は造営半ばで、「ずいぶんと香椎宮がさびれていたように思われる」とあります。香椎宮の本殿が焼失したのは、宗祇氏が訪れた11年前の文明元年(1469)のことで、足利義政公が造営を命じています。宗祇氏には、香椎の神官たちの立ち居振る舞いやことばが「すさまじげで哀れに」見えたり、聞こえたりしたのが、記されています。