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   香椎宮 社坊 護国寺

 香椎宮社坊の創起はさだかではないが、最盛期は社坊16区、皆天台宗であったという。則ち護国寺・学頭坊・力善坊・勧進坊・公文坊・読師坊・仲坊・御燈坊・編照院・弥勒寺・若宮御燈坊・多門院・文治寺・岡坊・講師坊・律院の16坊であった。17世紀には15坊は廃絶して護国寺だけが残っていたと考えられる。その護国寺は「楼門の左下、現木下成巳氏宅あたりにあったと思われる。」(『香椎町志』)昔の武内宿祢大臣の社址に宝永5年(1708)12月、神香山護国寺として再興した。これが近世の護国寺である。明治元年(1868)3月17日の「神祇事務達」であり、僧形のまま、別当あるいは、社僧など神社の儀式をおこなう僧にたいして復飾(還俗)を指示。香椎宮では明治2年(1869)6月別当護国寺は還俗して神官となり、香座(かぐら)実男(のち菅麻呂)と改名した。大宮司格として神職に取りたてられ、大宮司武内公郷と両人で支配することになった。仏教関係のものは、みな護国寺の香座菅麻呂がもらい受けて処分しました。


香座氏宅の庭にある 香座家香座菅麿 護国寺香座秀雄之碑