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   市の図書館推移

 福岡市には文政元年(1818)、櫛田神社が博多の子弟たちのため「櫛田文庫」を設けた。明治35年(1902)10月、私立福岡図書館が開設された。広瀬玄鋹(げんちょう)という島根県出身の宗教家が、荒戸東通り町自宅そばに開いた。西公園の開発整備にも尽力した。明治21年(1888)、時刻観念啓発のため午砲「ドン」を撃つ私設号砲会社を設けた江藤正澄氏と交友、図書館実現には江藤氏の示唆協力もあった。当時和風二階建て、延べ138平方メートル。和漢洋にわたる蔵書は2万2千冊。のち洋館二階建て100平方メートルを増築、蔵書も7万冊を超えた。求覧券は1回につき図書三銭、雑誌類は半額。中学生だった緒方竹虎少年も熱心に通ったという。だが江藤氏の「ドン」が経営難のため福岡市に引き継がれたのと同様、広瀬氏は多額の負債のうちに大正5年(1916)61歳で病没。図書館は翌年閉鎖された。けれども、蔵書の大半は大正7年設立される県立図書館の基幹図書となった。平成8年6月、福岡市総合図書館が開館する。