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   「聖福寺佛殿之記」碑

 聖福寺の広い境内は昭和44年(1969)、国史跡に指定されている。境内に「大雄宝殿」の扁額を掲げる仏殿があり、向かって左側に、福岡藩の書家・二川相近(すけちか)が書いた題字で飾る「聖福寺佛殿之記」碑がある。本文を要約すると「千光明庵法師(栄西)は留学していた宋から帰り、諸国に禅を広めて後、元久元年(1204)に聖福寺を開いた。ただいまの住職・無隠禅師もまた33年間も中国で学びその道を得て帰国したお方であるが、聖福寺に寺殿が無いのを嘆かれて多くの人々に訴え、材木1本瓦1枚の寄付を仰ぎ、正平10年(1355)から12年間かけて仏殿を完成された。このことを喜んで河南(元の時代)の陸仁が作った文を刻み正平23年に関係者一同で碑を建てた。」のです。戦国時代、仏殿も碑も兵火で亡失していたが、小早川隆景が入国以来、寺の復興につとめて、名島城の旧門を移築して方丈、総門とし、ほか法堂、仏殿、三門、僧堂、鐘堂などを再興した。