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   福岡にある四十七士の墓

 泉岳寺にある四十七士の墓所と全く同じに擬して造られたものが、福岡は南区野間寺塚の丘陵地にある。石段を上がり、古墳穴観音に詣でその通路をさらに奥へ進み下りると、昼なお暗い櫪(くぬぎ)林の中に見受けられ、周囲は静寂なたたずまいからくる厳粛な雰囲気が漂っている。入口の左は曹洞宗補陀山興宗寺になっており、その境内に四十七義士景仰(けいこう)霊域設置の謂れと記した石碑が立っている。要旨は「大義を重んじ、臣節を全うし、今や非常時局に際し、今回篤志(とくし)家木原善太郎氏が泉岳寺と同宗派の興宗寺を選び、境内の地形を相し、泉岳寺に於ける赤穂義士の墳墓に模して、排列はおろか玉垣まで同形式に安置し、巨額の私財を投じて建立、以て其の英霊を奉祀す。」とある。これは昭和10年(1935)6月に建設委員会顧問をした陸軍中将従三位勲一等功三級西川虎次郎が撰文し、当時の福岡市長だった久世庸夫(くせつねお)も名を連ねている。