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   九州鉄道建設

 九州の鉄道は博多―千歳川仮停車場(筑後川北岸)間35,4キロの開通から始まった。明治22年(1889)12月11日博多駅前広場に「どんたく隊」も繰り出して開業式を開く予定だったが雨のために簡素な式だけ行われた。九州で最初に蒸気機関車を走らせた九州鉄道会社は明治40年(1907)7月、国有鉄道法により国が買収するまで九州を代表する私鉄として発展した。その基礎を作ったのがドイツ人鉄道技師ヘルマン・ルムシュッテルである。彼は明治20年(1887)来福、九州鉄道会社高橋新吉社長の信頼のもとに顧問技師として、プロシア国有鉄道機械監督の経歴を活かし、敷設、材料輸入、運転、更に経営面の助言にまでも力を注ぎ「九州鉄道建設の恩人」と呼ばれている。彼の功績を顕彰し、作られた胸像レリーフが博多駅中央改札口前コンコースの柱にはめ込まれていた。昭和35年(1960)徐幕式後、旧博多駅応接室に設置され題字は当時の国鉄総裁の十河信二が揮毫した。現在は駅ビル屋上のつばめの杜広場に再設置されている。