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   「綾杉」の石碑

 香椎宮、拝殿に上がる中門の下石段の所に注連縄と朱色の柵で囲まれた、厳(おごさ)かにそびえる大きな「綾杉」(神木)があり、この杉こそ三韓出兵から帰国した神功皇后がお手植したと伝わる霊木である。その側に自然石の碑が建っており字は金色で浮き出るような感じである。碑は表に、「千早降香椎のみやの綾杉は神廼(の)みそきにたてる也けり」裏に、「明治十一年春日 陸軍大将二品親王熾仁書」とあり朱の角印が二個押してある。「香椎宮続編年記」には有栖川宮熾仁(たるひと)親王、福岡に在地された縁により倉 八隣宮司の依頼で御宸筆されたのを碑に刻したものである。と云う。 熾仁親王、福岡に在地されたのは二回。一回は37歳、福岡県知事、明治4年(1871年)7月2日勅命により7月10日着任から明治5年(1872)3月1日に福岡を出発。二回は西南の役で征討総督として43歳、明治10年(1877)2月27日福岡の仮本営「勝立寺」に着任。