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   漱石と博多

 鹹(かん)はゆき 露に濡れたる 鳥居哉 元は海辺に建っていたのだろうが、今では塩の気配も消え海苔跡の緑色も薄黒く、露に濡れている石の鳥居よとの意。 これは福岡藩主黒田長政が建立、現在は国指定重要文化財に指定されている石造りの一ノ鳥居を夏目漱石が博多に来た際、早朝眺めながら捻(ひね)った俳句である。 漱石は明治29年(1896)4月10日、松山中学校(愛媛県)から熊本の第五高等学校講師へ転任になり、11日に博多に泊まっている。博多には三度足を運んでいる。これが一回目である。二回目は、明治29年9月4日より1週間新妻鏡子を伴い福岡にいた叔父の中根与吉訪ねる。これが新婚旅行にあたり、前述の筥崎宮へ参詣するのに東公園の中を通る。次は香椎宮に詣で、綾杉を愛でながら詩を詠む。三回目は英語教育の視察及び指導の目的を以って明治30年11月9日、当時大名町堀端にあった福岡県立尋常中学修猷館へ来ている。これは純然たる公務である。