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   福岡県の廃藩置県

 明治4年(1871)7月に行われた廃藩置県以前、現在の福岡県域には福岡藩・秋月藩(筑前)、豊津藩・千束(ちづか)藩・中津藩(豊前)、久留米藩・柳川藩・三池藩(筑後)が存在し、これらの藩が廃藩置県によりそのまま県に生れ変わった。同年11月の統廃合で秋月県を福岡県に統合。久留米・柳川・三池の三県を三潴(みずま)県とし、豊津・千束・中津の三県が小倉県となる。さらに明治9年4月に福岡県が小倉県を合併。三潴県は佐賀県を合併したが、この年8月には三潴県の筑後一円が福岡県に編入され、福岡県から宇佐・下毛の二郡が大分県に編入されて現在の福岡県域が確定した。廃藩置県による混乱が豊津藩では明治4年9月、旧知事の小笠原忠忱(ただのぶ)が東京へ移る際に農民が暴徒化し一揆が発展。置県後も政府の政策に対する不満は農民層を中心にくすぶり続け、明治6年6月には「竹槍一揆」と呼ばれる最大規模の暴動が起こっている。