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   福岡の近代化

 明治7年(1874)の「佐賀の乱」や同10年(1877)の「西南戦争」では、いずれも政府が福岡を反乱鎮圧の拠点としたため、福岡の不平士族による決起は限定的なものとなり、明治9年(1876)に旧秋月藩士によって決行された「秋月の乱」も不発に終わっている。この時の挫折が福岡県に自由民権運動の波をもたらしやがて国家主義団体である「玄洋社」の登場へとつながっていく。明治から昭和にかけて、福岡県の産業の基礎となったのは炭鉱でした。筑豊地方を中心とする豊富な石炭資源を背景に、明治34年(1901)には遠賀郡八幡町で官営八幡製鉄所が操業を開始する。製鉄業は日露戦争後の鉄鋼需要急増によって拡大を続け、福岡県の工業発展に大きく寄与した。商工業の発展に伴い、都市化が進み戦後の昭和38年(1963)には九州初の政令指定都市として北九州市が成立。続いて同47年(1972)には福岡市も政令指定都市となりました。