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   元寇防塁異聞

 鎌倉時代、蒙古の再襲来に備え博多湾岸に20キロにわたり築かれた元寇防塁。中でも保存状態が良いとされる福岡市西区今津の高台に「元寇殲滅(せんめつ)之處(ところ)」との銘を刻んだ碑が建っている。1913年(大正2)7月、元寇防塁の地元での発掘で九州の考古学創始者の中山平次郎先生がこの発掘を機に「石築地」と石塁を「元寇防塁」と仮に名付け、今では定着している。この石碑を巡り当初より論争があり、1916年(大正5)の除幕式にても見られた。建碑を推進した郷土史家の木下讃太郎氏と郷土史家武谷(たけや)水城(みずき)氏の二人でした。論争は碑建立から20年後の1936年(昭和11)にも再然し、武谷氏は県知事あてに碑銘改訂の申請書を提出。これに対し、当時の今津村の村民700人が碑の擁護大会を開き、「地元民憤然 反対に蹶起」と報じている(九州日報)。元寇防塁は1931年(昭和6)3月に国史跡に指定されている。