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   金印の発見者

 福岡県に国宝「漢委奴国王」印がある。発見されたのは、天明4年(1784)2月23日「叶崎(かなのさき)」で、発見者は甚兵衛氏と分かっている。当時の公文書にあるが、秀治(しゅうじ)・喜平(きへえ)が発見者とされる場合もある。甚兵衛氏説の根拠は、「天明4年、志賀村百姓甚兵衛金印堀出ニ付口上書」と呼ばれているもの。3月16日付で、那珂郡役所に提出した公文書である。秀治・喜平氏説の根拠は、1つは安曇家所蔵の「万暦(まんれき)家内年鑑」の書き込みで、もう1つは勝馬の鍋島家に伝わる仙厓和尚の小幅(掛け軸)の讃(さん)。『年鑑』には、志賀島小路(こうじ)町の「秀治」が大石の下から2月23日発見、『讃』は天明4年に「秀治・喜平」両名が「叶崎」から掘り出したと記す。現在では、秀治・喜平氏は小作農で叶崎の田圃所有者が甚兵衛氏だったのではとされている。故に小作人が見つけた金印を所有者の甚兵衛名で届けたと解釈するのである。