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   博多港開港110周年の歩み

  明治に入り船舶も大型化し、水深の浅い博多港は明治40年(1907)、国の第一種・第二種重要港湾に選定されず、明治41年に博多港初めての港湾施設の博多船溜が完成したが水深は2~3mしかなく、視察した伊藤博文枢密院議長が「タライのようにかわいらしいのう」と苦笑したという。
  こうしたなか、明治43年(1910)に地元有志が玄洋社の志を継ぐ杉山茂丸氏に築港完成を要請し、大正元年(1912)12月に県知事に築港の願書を提出したが大正3年に不許可となった杉山茂丸氏は当時海運業で一大財をなした中村精七郎氏ら市井の有志に投資を呼びかけた。
  これを受けた中村精七郎氏は、私財300万円(現在の価値で数百憶円相当か)を投じる決心をし、株式会社組織で事業にあたることで、改めて県知事に願書を提出。大正4年(1915)に許可命令書の交付を受け、大正5年に現在の港湾管理者福岡市港湾局の前身となった「博多湾築港株式会社」が設立された。


立花山山頂からの眺望