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   香椎海岸埋立て事情

 明治43年(1910)、第13回九州沖縄八県連合共進会が開催された。同じ頃、渡辺与八郎氏は博多湾築港の開発、将来の大計画の一部として香椎駅(現JR香椎駅)、西の香椎潟浜男海岸の埋立て計画を立て香椎浜埋築(まいちく)会社の設立準備に取り掛かりました。
 明治44年(1911)10月、渡辺与八郎氏の急死により野村久一郎氏らが事業を継承しました。
 大正元年(1912)12月に香椎の西の浜男海岸の内3万3千7百余坪は香椎海面埋築会社(九州勧業の前身)により埋立てられました。香椎海面埋築会社が成立しました。その後を、博多湾鉄道汽船の社長を務めた太田清蔵(四代目)が引き継いで開発を進めました。
 大正11年(1922)11月には九州勧業株式会社に商号変更し、現在に至る。