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   筥崎宮異聞

 葦津家は筑前筥崎宮の社家のひとつです。大正年代には赤坂霊南坂の頭山満氏の隣家に住み、頭山氏をはじめ玄洋社社員と交友がありました。葦津耕次郎は明治41年(1908)に筥崎宮を辞して、自由な立場で活動できるようになり、大正期にはいると「八幡様のため」にいくつかの事業を手懸けます。
 彼が直接に経営した事業として満洲における鉱山業と国内の社寺建築業、それに事業の始まりから深く関わったものとして博多湾築港事業があります。葦津氏の諸事業において陰に陽に杉山茂丸氏の姿が見え隠れして、杉山氏の人間としての大きさのようなものを高く評価していました。杉山氏について、「同郷の先輩として、俺が最も尊敬する人に二人ある。一は頭山翁であり、他は杉山翁である。」と語っています。
 大正12年(1923)から国内での社寺建築業に着手しています。直接は筥崎宮神苑会の事業との関わりから始まったものでした。