34<< 33 >>32

   香椎造の香椎宮

  独自の建築様式をもつ神社、香椎宮は熊襲(くまそ)平定のために九州に下り当地で崩御した仲哀天皇のために神功皇后が自ら祠を建てて神霊を祀ったのがはじまりといわれる。神亀元年(724)、神功皇后の神託をうけた元正天皇の命により社殿が造営され香椎廟と呼ばれた。現在の社殿は江戸時代の享和元年(1801)福岡藩主黒田斉清(なりきよ)によって再建されたものである。社殿を見ると、香椎宮の特徴は屋根の構造が複雑なところである。入母屋造平入り(屋根の三角部分を入り口とする妻入りに対して、屋根の直線部分を入り口とする形式)を基本として、左右に「獅子の間」といわれる一間が張り出している。獅子の間は三角形の切妻屋根で覆われ「車寄」という階段がついているが、階段は途中で切れている。これは祭神が鳳輦(ほうれん)に乗り、戻ってくるという信仰で、鳳輦の高さに合わせて階段が造られている。社殿の複雑さ屋根の形や車寄の構造は「香椎造」といわれる。