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   夢野久作伝

  福岡市出身の杉山直樹は、祖父・杉山三郎平に育てられ、弘道館述義と詩経、易経、四書五経を教え込まれる。大名尋常高等小学校卒業、福岡県立中学修猷館から、1911年(明治44)に慶応義塾大学予科文学科に入学し歴史を専攻。1913年(大正2)、文弱を嫌う父・茂丸の命により慶応義塾大学を中退し、福岡で杉山農園(現東区唐原)を営む。1915年(大正4)東京文京区本郷の喜福寺にて出家し、「杉山泰道」と改名し奈良や京都で修行する。しかし2年ほどで僧名泰道のまま還俗してまた農園経営に戻る。父が社主を務めたことのある「九州日報」(後の西日本新聞)の新聞記者を経てルポルタージュや童話を書くようになった。1926年(大正15)には「あやかし鼓」を雑誌『新青年』の懸賞に発表して二等に入選、作家デビューを果たす。筆名は、彼の作品を読んだ父が「夢の久作の書いたごたる小説じゃね」と評した。そのまま筆名とする。ここから作家として本格的に作品を発表する。