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   歌碑二つ

  九州大学医学部校内に二つの歌碑がある。基礎研究A棟前の歌碑には長塚節(たかし) の絶唱「しろがねの鍼(はり)うつごとききりぎりす幾夜はへなばすずしかるらむ」を刻む。昭和33年(1958)有志たちの手で建てられた。節氏は茨城県の人。正岡子規氏に師事、アララギ派の歌人として伊藤佐千夫氏と並び称された。不朽の名を残す『鍼の如く』231首のうち、大半が九州での作。また写実文に優れ『芋掘り』,『おふさ』,『教師』など、とりわけ『土』は農民文学を確立したと評される。 もう一基は久保猪之吉・京都帝大福岡医科大学(九大医学部の前身で明治36年設立)教授のそれで、同窓会館近くにある。碑面には「霧ふかき南独逸の窓おぼろにうつれ故郷(ふるさと)の山」とある。久保氏は福島県出身、東京帝大卒、ドイツ留学のあと福岡医大(当時)初代耳鼻咽喉科教授として、この分野の最高権威とうたわれた。世界的に著名な医師であっただけでなく、文学活動においても妻である久保より江ともに歌人として活躍。その後は俳句を始め、高浜虚子氏に師事。福岡存在のあいだ夫婦の住まいは文化人のサロンともなった。