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   福本日南論

  司馬遼太郎著『明治という国家』には多くの登場人物に略歴紹介があるが、福本日南にだけそれがない。軽視したのでなく、逆に紹介抜きで通る第一級の言論人として扱ったものと思われる。福本氏は本名を誠、安政4年(1857)5月、福岡地行下町、黒田勤王派・福本春風の長男に生れ、上京し司法省法学校へ、まだ在学中に『普通民生論』を福岡の磊落社から出版している。明治22年、32歳で陸羯南氏、古島一雄氏と新聞『日本』を創刊、論陣を張り文名を築く。明治38年、請われて帰郷、地元紙・九州日報の社長に就任、主筆を兼ねた。明治41年、衆議院議員となる。8月には史談『元禄快挙録』を同紙に執筆、連載は295回におよぶ、赤穂四十七士の忠臣蔵について、芝居や講談の虚実取り交ぜてでなく、実録が世に出たのはこれが初めて、そっくり東京の有力雑誌「文章世界」に転載され、単行本となり全国で愛読され『義士正史』とたたえられた。