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   三宅酒壷洞

  三宅安太郎(号酒壷洞)氏は明治35年(1902)5月 博多区大博町にて出生。仙厓研究の第一人者であった。また、荻原井泉水門下の層雲派の俳人でもあり、同門の種田山頭火の良き理解者であった。漂泊の俳人・種田山頭火は『山頭火の日記』には1930~1932年に3回、福岡市市役所を訪れた記録がある。市役所では支援者で市職員だった三宅酒壷洞氏を訪ねた。さらに「酒壷洞居」の二階で句会を開いている。さらに、三宅氏は博多人形師の小島与一氏など隠れた才能を見つけて支援しており、種田氏も金銭的援助を求め三宅氏に遭いに来たようだ。そして博多学に関しては、郷土史家の故筑紫豊氏とともに双璧であった。また筑紫豊氏は三宅氏の愛書について、「書屋、号して長春軒という」と評している。三宅氏が収集愛蔵した1万7千余点の全資料が市に寄贈され、整理されたのち「三宅長春軒文庫目録」が発刊され、一般に公開された。( 昭和61年(1986) )