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   浩浩居(こうこうきょ)

  1899年(明治32)に福岡市出身の首相や外相を務めた広田弘毅が旧制第一高校時代、郷里の学友5人と3間しかない小石川の家を借り共同生活をしたのが始まりで、「浩浩居」と名付けました。この家は、外務卿副島種臣がつけた名前で、『浩浩として歌う、天下万物我如何にせん』を借り、広田(寮長閣:あだ名が青鬼)・平田知夫(副寮長閣:あだ名が赤鬼)ら5人の仲間と共同生活を送りました。その後、1936年(昭和11)から現在の杉並区松庵(西荻窪)に移りました。いまは財団が運営する2階建ての17室に、福岡出身の男子学生が入居しています。個室だが、寮生同士の交流は活発で、つながりも強いといいます。「魅力は食事付き3万5000円の安い寮費だけではあるまい。人とふれあい、切磋琢磨する喜び。それを多感な青春時代に経験するチャンスでもある。」と2016年3月4日付の読売新聞夕刊「風紋」「浩浩居」に記されています。さらに、2009年(平成21)付け西日本新聞に広田元首相がA級戦犯として処刑された命日、12月23日に「広田元首相ゆかりの学生寮 「浩浩居」110周年祝う」という見出しで、創立110周年記念祭が掲載されています。


「浩浩居」寮のホームページ