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   田原眼科

  田原眼科の祖は豊後大友氏の家臣で、明暦年間(1655~58)に糟屋郡須恵村(現糟屋郡須恵町大字上須恵)に移住してきたと伝えられています。眼科医となったのは2代目の順貞で、3代以降は養卜(ようぼく)・養柏(ようはく)・養全(ようぜん)と交互に襲名しました。9代養柏の弟が分家を興し、代々養明を襲名しました。天保年間(1830~43)の頃、馬島、竹内、土生の諸眼科と並び、日本四大眼科と呼ばれました。 診療所は上須恵にありました。現在、田原養全宅跡として町指定文化財となっています。明治44年4月、香椎に移転しました。現在の福岡市東区香椎の田原眼科医院です。田原眼科の流れを組む眼科はほかに福岡市東区馬出、糟屋郡志免町などがあり、田原眼科は、本家17代、分家6代にわたって約400年の歴史があります。 (田原眼科宅跡説明板より)