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   町家へ

  博多の町並みは、太閤町割りの基盤の上に形成されています。 箱崎・馬出地区は、筥崎宮を中心とした古くからの町で、浜部岡部ともに特に町割りはされていませんでした。博多部と福岡部は町割りされて、間口で税金を掛けたこと、密集していることから間口が狭くなっています。福岡部は博多商人を移住させるため、免税措置をとったので、博多部より間口を広くできたと思われます。間口は2~3間(1間は約1.8メートル)、奥行き30間をおおむねの基準とし、町家の入口は、北もしくは西側が道に面している場合は向かって右、南もしくは東側が道路側に面している場合は向かって左と定められていました。税の負担は道に面した間口の長さによって決められていました。このため奥に長い家が立ち並ぶようになりました。また角地の場合、道に面した部分がすべて間口とみなされていたために、角地は好まれなかったといわれていました。 福岡市東区馬出・旧唐津街道に面した、1872年(明治5)に建てられた箱嶋家住宅があり、2007年(平成19)に国登録有形文化財に認可されています。この住宅は、貴重な荒神竈(かまど)を有し、随所にベンガラ塗りが施され、箱階段や厨子(ずし)二階、吹き抜けの天窓、水琴窟など意匠に富んだ江戸末期の町屋を現代に伝えています。また柱と梁とが一体化した構法は耐震構造としても優れ、2005年(平成17)に起きた福岡県西方沖地震にも持ち堪えました。