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   香椎の石築地孝

  元軍の二度目の侵入に備えて、西は今津から東は香椎まで、約20キロメートルに渡って博多湾一帯に石築地(防塁)が築かれた。 香椎地域の石築地築造の有無については、長いあいだ論争があった。築造が確認されたのは、昭和32年(1957)春の大分県大分合同新聞社の国東半島学術調査団によって、大分県杵築市の生桑寺(いくわじ)の所蔵する大般若経の裏打紙文書が調査されてから、その中に「香椎前浜石築地事」と書いた史料が発見された。この史料は、豊後国守護大友頼泰氏が同国御家人八坂氏にあてた異賊防御条々の一部であった。さて、豊後国御家人の異国警固番役勤仕の場所と、石築地築造の場所が香椎地域であり、元寇時大友氏の本陣が香椎宮にあったことが言われている。貞治3年(1364)や永徳3年(1383)の大友氏の所領一覧の中に、「筑前国香椎社付諸郷」と見えるのは、大友氏が豊後国守護として香椎地域の石築地の築造、修理や警備にあたっていたために設定された所領だと考えられる。香椎と大友氏との関係は戦国期まで続く。