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   旧柳町

  御笠川河口付近に作られた「柳町」。出入口には大門が設けられ、外から閉鎖された町になっていた。江戸から明治時代後期まで、博多の遊郭は、現在の下呉服町、大博町周辺にあり、「柳町」と呼ばれていました。江戸時代以前は須崎浜周辺に、娼家が点在していましたが、福岡城築城の際に城下町の東側入口に娼家があると都合が悪いということで、御笠川の河口付近にこれらをまとめ柳町としました。柳町は福岡藩公認の花街として管理され、一泊まで、武士は出入り禁止でした。なお、遊女は贅沢な衣装を着てはならないなど、一定のルールのもとに運営されました。明治に入ってからも柳町はにぎわいを見せていましたが、御笠川をはさんだ向かい側に福岡医科大学(現・九州大学医学部)の設立が決まり、風紀上ふさわしくないと理由で、明治42年(1909)、柳町は「新柳町」として現在の清川周辺に移転することになりました。


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