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   天神の歴史

  天神は江戸時代には、福岡藩士の邸宅が建ち並ぶ場所で、明治時代に電車が整備されたことがきっかけとなり、福岡の経済の中心地として発展しました。まず、路上遺産として、「天神中央公園」とその横を流れる川との間には古い石垣が残されています。江戸時代に福岡城を築城する際、城下町の防衛のために築かれた巨大な石垣の跡です。また、公園の一角には福岡藩刑場址碑もあり、江戸時代にはこの場所に処刑場がありました。そのほか、天神周辺には旧日本生命保険株式会社の九州支店として作られた赤煉瓦文化館、明治時代に博覧会の迎賓館として使用された福岡県公会堂気貴賓館,等たくさん残っています。さだに、鎌倉時代の福岡市周辺を表したと言われる「博多古図」に巨大な2つの入江があります。入り江の名前は東側が「令泉津」、西側が「草香江(くさがえ)」と記されています。東側の令泉津、北は長浜から南は美野島まで広がっており、現在の地図に当て嵌めると、天神や中洲は海の中だったことがわかります。