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   宗玖寺

  宗玖寺(そうきゅうじ)は博多の中心地川端商店街の横、片土居町に創立され、古くより管請の博多大黒天として博多商人の信仰を集めていた。集めていた。明治に市制が引かれた折、市名を博多かとの争い一票差で福岡市と決定された。博多市を主張する博多商人の団結の中心が「宗玖寺」であった事が「博多風土記」に記されている。さらに洲崎地蔵尊は、かって昭和通り洲崎問屋御入口の澄川ビルの横にあったが、区画整理の際に、宗玖寺に移された。地蔵尊は石村萬盛堂の先代石村僐右氏が発起人となって、空襲で黒く焼けた自宅の庭石を台座として、自宅前に建立したものである。ちなみにここは博多祇園山笠追い山笠の決勝点であります。現在は、明治43年(1910)、市電付設の為、箱崎松原に移転、福岡市東区馬出4丁目1-1に移転再建されている。尚、洲崎地蔵尊縁起に昭和20年6月19日、午後9時突如として福岡市は米軍の空襲をうけてとされている。