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   万葉集と香椎

  「万葉集」には香椎に関する歌は四首ある。巻六に神亀5年(728)「冬11月大宰の官人等、香椎の廟を拝み奉り訖(お)へて退り帰る時に馬を香椎の浦に駐め、各懐を述べて作る歌」として題詞により三首が見える。 (帥大伴卿)、(大弐小野老(おゆ)朝臣)、(豊前守宇努首乙男人)、等各人です。 この巻六の題詞によって神亀5年当時すでに香椎廟宮が成立していたことがわかるが、さらに巻六の歌を中心に、神亀5年11月のある日の状況を考えていきます。今までこれらの歌は、太宰府官人による香椎廟宮参拝のあとの磯遊びと考えられてきましたが、当日は季節風が吹く陰暦の冬11月の干潮の早朝であり磯遊びではありません。「香椎宮編年記」によれば香椎廟宮の恒例の太宰府帥も参加する祭りは、2月と11月であっつた。中央の祈年祭と新嘗祭(にいなめさい)に対応する国家的祭儀である。そして彼らは香椎潟に海藻を刈り、目的は御島神社の神前に供えるためであろう。祭儀の一環であった。さらに「万葉集」にはもう一首、巻十五に香椎がでている。(読み人知らず) にて作者は第23次遣新羅使一行の人物である。新羅に向かうために「筑紫の館」に入った。