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   香椎宮古宮

  香椎宮本殿の右に、橿日宮(かしひのみや)へ向かう出入り口があり、その先が橿日宮・仲哀天皇大本営跡(通称・古宮)である。仲哀天皇の妃が神功皇后だが、今では仲哀天皇よりは神功皇后の伝承話が多く知られています。神功皇后という呼称は、人の死後にその徳を讃える称号の諡名(おくりな)で、正確な名は「息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)である。夫妻が話題になる飛鳥時代に奈良時代にかけ、朝鮮半島は争乱が続いた。西暦660年に百済が滅び、次に高句麗が滅亡し、新羅が668年に半島を統一した。さらに、仲哀天皇は、信託による新羅征討の前にまず国内制圧を優先したが、その戦いで負傷し、この香椎で崩御した。その仲哀天皇の大本営跡がこの古宮である。その後、奈良時代に入り新羅と険悪な関係になったわが国は、新羅の勢力を怖れ、仲哀天皇の霊力でこれを防ぐため、神亀2年(725)に聖武天皇の勅令で創建したのが香椎宮(廟)である。