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   松原地蔵由来

  九州大学工学部は平成17年に箱崎から西の元岡へ移転した。旧工学部敷地内で五十周年記念講堂と向かいあう森は、古くから地蔵森と呼ばれていたが、実は寺跡(還国寺(げんこくじ)だった。かつてこのあたりは多々良浜に続く松原であった。平家の平清盛公は日宋貿易で巨利を得て平家の財を豊かにした。清盛の子・重盛公は中国浙江省の巡礼山へ、貿易で使役する船頭に託した多額の砂金を送った。その返礼に宋から地蔵菩薩像が送られてきたが、時は平家滅亡後のことであった。地蔵菩薩像は長い間、浜に放置された。その後、慶長16年(1611)に福岡藩主・黒田長政公は博多町中から松の木を集め砂浜に植林した。寛永8年(1631)に二代藩主・忠之公はそこにお堂を建て、放置された地蔵尊をあらたに祀った。地蔵を祀る松原を「地蔵松原」と呼び、地蔵松原の中に祀られる地蔵を「松原地蔵」とも「将軍地蔵」とも呼ぶようになった。