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   香椎宮追遠会

  香椎宮追遠会(ついえんかい)は香椎宮が天正年間に戦火で失った楼門、回廊などを往古の姿に戻そうとして明治31年夏、福岡県知事深野一三氏及び地元有志らが立ち上げた団体である。追遠会幹事森禎二郎氏(明治14年1月6日に香椎郵便局長)が香椎宮への尊崇の思いを抱いたのは、森家の祖先が香椎村役人として勅使参向時に力を尽くし、勅使の藤原公説使、源通善使らの自筆の短冊などを頂いた家であったことが影響している。また森氏は香椎郵便局長として努める傍ら、香椎宮禰宜木下美重氏と親交を深め、和歌の贈答を終生行っている。明治26年11月12日には森氏は香椎潟に関する万葉歌碑を建てるにあたり発起人にも名を連ねている。明治31年、追遠会が組織され、同年11月29日に上京運動の際、森氏は香椎村村長田代百太郎氏とともに上京し、福岡県選出の衆議院議員藤金作(糟屋郡出身)氏、多田作兵衛氏、前福岡県知事男爵渡辺清を通じて寄付金、国庫補助金の請願の運動を行った。