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   ぎなん屋敷

  福岡市中央区役所前を西へ進むと日本たばこ産業株式会社福岡支店ビルの前庭にイチョウの巨樹がある。このビルの場所に大正2年(1913)、中野商店(炭鉱経営)の中野徳次郎社長が建坪400坪の別邸を完成させた。天神の「ぎなん屋敷」と呼んで市民の話題をあつめた。徳次郎社長は明治39年(1906)、衆議院議員に当選しているが、このあとは出馬していない。鉱業のほかに九州水力電気会社を興し、また森林事業の業績がある。大正7年(1918)、徳次郎社長の長男中野昇氏が28歳で中野商店を継承、昇氏は実業と合わせて社会事業に心をかたむけ、互恵会を発足させて、農業改良事業、育英事業、宗教教育等に尽力した。昭和15年(1940)会長就任、社長には弟の中野次郎が就いた。ここはもともと福岡藩士・飯田角兵衛門の屋敷であった。江戸期から「ぎなん屋敷」と呼んでいたともいう。