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   続博多港築港開発

  中村精七郎氏は、私財300万円を投じる決心をし、株式会社組織で事業にあたることで改めて県知事に願書を提出。大正4年に許可命令書の交付を受け、大正5年に現在の港湾管理者福岡市港湾局の前身となった「博多湾築港株式会社」が設立された。これが、近代博多港の歴史の始まりである。博多港の国港化が受け入れられず、それでは民間の力でと、国の将来を考えて大築港計画を実行した。結局、同社の資本金300万円、社長に中村精七郎(船舶業・石炭商の中村組経営者)、専務取締役に中村定三郎、(糟屋郡で勝田炭坑を経営)常務取締役に鶴田多門(工事設計の九州公務所を経営)、取締役に古賀壮兵衛・遠藤甚蔵・深沢伊三郎、相談役に杉山茂丸・葦津耕次郎・深見平次郎・野村久一郎・遠藤甚蔵・吉貝甚右衛門を選任しています。所在地は筑紫郡堅粕町大字馬出濱松原952番地で明治から昭和の初期にかけて博多湾の埋め立てにより杉山町が発足しました。


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